化学と言語

 大学院の学生時代、恩師のお宅を友人と訪問した時のことである。御馳走になり、お酒もいただきながら何時間か談笑していた。突然、その友人が「結局、化学って何なのでしょうね」と師に問いかけた。先生はしばらく考えて、「私の恩師が『記述すること』とおっしゃっていたことがある」と切り出された。そこからどのように話が展開したのか、もう全く覚えていないが、その言葉だけは釈然としない思いとともに、ずっと記憶に残った。おそらくその答えが私にとって予想外のものであったからであろう。「なぜ化学が記述することなのだろう。記述することが大切なことはわかるが、化学で一番大切なのは、やはり、実験によって新しい化学的事実を発見することではないのか」と、そのころは考えていたからである。「化学は記述すること」という言葉は、その後も長く私の脳裏から離れなかった。

 近代的な最初の化学の教科書とされるラヴワジェの「化学原論」の冒頭には、「私たちは言葉の助けによってのみ考える。言語は真の分析手段であり、あらゆる叙述様式の中で、最も単純かつ厳密で、最も目的にかなっている代数学もまた、一つの言語であり、同時に一つの分析手段である。要するに推論の術も、よくできた言語に還元される。」というフランスの哲学者コンディアックの言葉が引用され、「科学は科学を構成する一連の事実とそれらを想起するための諸観念、および、それらを表現する言葉から成り立っている。科学を完全なものにしなければ言語表現を完全にすることはできず、言語の完成なくしては科学の完成もない」とも述べられている*1。ラヴワジェらはこれにより、体系的な化学命名法の必要性を痛感し、その確立に力を尽くしたといわれている。この流れが、ドルトンの原子説、さらには原子記号の確立などにつながっていると思える。

 自然科学と言語の不即不離の関係は、ことさら取り上げるべきものでないかもしれないが、自然科学研究のプロセスの中で重要な役割を果たしていることは疑いない。私たちの中に何かおぼろげな発想があったとしても、それが言語による論理的な表現にまで高められなければ、何も生み出さないし、また、明晰な新事実を発見したとしても、それを言語として表現できなければ、自分自身を納得させることはできないし、他人を説得することはできない。ましてや、化学の体系の構築にはつながらない。

 極言して、化学はすなわち言葉であるとすれば、世界の多種多様な言語と化学との関係性をどのように受け入れればよいのだろう。化学は自然科学の一分野であり、普遍的な学問であるはずである。言語の違いに依存しないものであるはずである。実際、化学は、元素記号、化学式、化学反応式などの、代数学に劣らない、独特の表現法を持っている。しかし、それだけで、化学的事象、概念、理論を記述することはできない。やはり、一般的な言語の助けを借りて記述しなければならない。しかし、世界には多種多様な民族が生き、多種多様な言語を話している。

 近代化学の起源は西欧にあり、日本には幕末に蘭学とともに伝った学問である。ラヴワジエの「化学原論」の出版は1789年であり、それをもとに、1799年にウイリアム・ヘンリーが著した"An Epitome of Chemistry"が、ドイツ語訳、オランダ語訳を経て、日本に伝えられ、宇田川榕菴が「舎密開宗」として、翻訳したのが1840年ごろである。日本の近代化学は西欧から半世紀程度遅れて導入されたことになる。日本の文化の中では発生することのなかった化学を、ようやく、受け入れることとなった。日本の先人たちは、化学を日本語で考え、表現するために、筆舌に尽くし難い努力をしたようである。そのおかげで、今日我々は日本語で化学を考え、記述することができる。

 もし、日本人が化学を西洋の言語のまま受け入れて、その言葉で理解し、表現するやり方を選んでいたら,どうだろう。化学は西洋の学問のままであり、日本の文化と融合して、より普遍的な学問へと発展することはなかっただろうと思われる。辻哲夫氏の「日本の科学思想」からの受け売りであるが、かって、ハイゼンベルグ量子論の発展過程で、日本からもたらされた貢献に対して、「極東の伝統における哲学的思想と量子論の哲学的実体の間に、何らかの関係があることを示しているのではあるまいか。今世紀(20世紀)の初めころに、ヨーロッパでまだ広く行われていた素朴な唯物的な思考法を通ってこなかった人たちのほうが量子論的なリアリティの概念に適応することがかえって容易であるからかもしれない。」と述べている*2。西洋の言語と東洋の言語に何か違いがあり、そのため、西洋の論理では素直に導かれない事柄を、東洋の論理は容易に飛び越えて、新たな理解に到達しうることを述べている。自然科学はもちろん西洋も東洋も区別なく、だれもが理解できる普遍的なものでなければならないが、同時に、言語が多様であるからこそ、発想、解析方法や概念構築が多様になり、より普遍的なものとして発展できるのではないだろうか。今日、英語教育の重要性が叫ばれ、講義や学会発表も英語で行うことを推奨する風潮があり、それには相当の理由もあるわけだが、日本語の化学を充実させ、発展させることの意義をおろそかにしてはならないと思う。

 

*1 科学の名著第2期4坂本賢三編集、柴田和子訳、ラボワジェ「化学原論」、朝日出版社  (1988)

*2 辻 哲夫著「日本の科学思想 その自立への模索」、中公新書(1973)

 

 

はじめに

        最近、激しく心を揺さぶられるニュースがあった。山口県周防大島町に住む2歳の子が行方不明になって3日、警察が必死に捜索するも見つからなかったところ、78歳のボランティアさんが、大分から一人で軽自動車を運転して現地に入り、わずか30分で見つけ出し、両親のもとに届けたというものだ。報道されるこの人の半生や人生観を知るにつけ、このような人格者が、この世に、いきいきと暮らしておられることを知って、感激した。行為の美しさだけでなく、ボランティアとしての熟練、心構えもすばらしい。近頃、社会のリーダーたちの不正や潔さに欠ける行動を耳にすることが多かっただけに、このような、無私の奉仕精神を持つ、尊敬できる高齢者が、日頃目立たないけれども、まだ居られるのだと知って、うれしかった。

       化学の研究者を志してから60年近く、すでに大学を定年退職し、人生の終わり近くに差し掛かった今頃になっても、「化学は果たしてサイエンスなのだろうか」、「化学は世の中に必要とされているのだろうか」、「世間の人たちは化学にどれだけの関心と知識をもっているのだろうか」「化学はどこへ行くのだろうか」、「若い人たちに、私の考える化学を伝えるにはどうしたらよいのか」などと折々考える。それが昂じて、些細なことから大仰と思われるかもしれない話題まで、あるいは時に全く化学に関係ないと思われることまで、日頃考えていることを、目立たなくてもよいので、自由に書き綴ってみたいという思いが次第に募ってきた。しかし、体系的に突き詰めて考えているわけでもないので、一冊の本に纏めることなどとてもできそうにない。それで、ささやかなブログを始めたいと思い立った次第である。この意欲がいつまで続くか分からないが、先のスーパーボランティアさんにも刺激されて、後期高齢者の仲間入りをした今、まずは一歩を踏み出すことにする。